衆議院総選挙9日目。本日は、昨日の記事で最後にふれた「選択的夫婦別姓」について、さらに詳しく論じる。


昨日の記事で書いたように、「同姓」を強制している国は日本だけだ。1985年の女性差別撤廃条約の批准を受けて、法制審議会は5年の長きにわたる審議を経て、1996年に選択的夫婦別姓導入を含む民法改正案を答申した。しかし、それから25年、選択的夫婦別姓は実現していない。政治の不作為という他はない。選択的夫婦別姓導入を望む世論は今や多数派であり、この問題は今回の総選挙の大きな争点であるとして、週刊金曜日の10月22日号は「選択的夫婦別姓」の問題を特集している。

女性差別撤廃条約は、姓(氏)及び職業選択を含めて、夫及び妻に同一の個人的権利を保障することを締約国に求めている。この問題を放置することは、国際条約上の違反行為でもあるのだ。

世論調査だけでなく、選択的夫婦別姓導入を求める意見書が、全国299の地方議会で採択されている。まさに実現のための機は熟している。与党の公明党ですら、導入を検討すべき、としている。反対しているのは自民党だけだ。何故、自民党は反対しているのか。その疑問を解くカギは「家」というワードにありそうだ。後述のように「家制度」は1947年に民法上も廃止されたのだが、自民党の本音はこの家制度の復活にあるのではないか。

自民党が野に下っていた2012年にまとめた「憲法改正案」を見れば、「家族は個人に優先する」というのが自民党の(この憲法草案に表された限りにおいて判断される)価値観であるように思われる。(この草案は、現在でも自民党のホームページで読むことができる。ご参考まで。)

自民党の2012年憲法改正案

これに対して、現憲法の基本精神はあくまでも「独立した個人の権利」が家族に優先する、であり、正反対の価値観である。

憲法24条② 配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。

現在、いろいろと出ている反対意見の多くは、現憲法が「個人を社会の基礎としている」ことを認識できていないことによる「勘違い(あるいは意図的なミスリードなのかもしれないが)」が多いように思われる。たとえば反対意見の一つとして、「家族単位の社会制度が壊れる」というものがあるのだが、これについて、週刊金曜日の記事で立命館大学教授(家族法)の二宮周平さんが解説している。以下、その骨子を記す。

民法が「家制度」を廃止したのは1947年。家族関係は夫と妻、親と子、親族間の個人的な権利義務関係とした。憲法(24条)が「個人の尊厳に立脚して」と規定しているだから、当然のこととして、民法にも家族を単位とした規定など存在しないのだ。例えば所得税の配偶者控除、相続税の減免など一見、家族に関する制度のように見えるものも、婚姻関係や親族関係による相続権を根拠としているのであり、そもそも「家族」という定義規定そのものが存在しない、ということ。したがって、この「家族単位の社会制度が壊れる」という主張は、全く何の法的根拠もない、無意味なものと言わざるを得ない。

二宮周平さんの解説は、ここに要約したものよりも多岐にわたっているので、興味のある方は週刊金曜日をお読みいただきたい。

いずれにしても、現在、野党のすべてが「選択的夫婦別姓導入」に賛成している状況だから、政権交代が実現すれば、この長年、放置されてきた日本の課題の解決に向けて、大きな前進を図ることが期待される。今度の選挙は、「変われない」日本、世界から取り残されていく日本を、私たちの力で変えていくための重要な選挙だ。「生存のための政権交代」をめざして、社民党はたたかいぬいていく。

(2021.10.27)